第273回セミナー報告「かゆみの「温故解新」~AIによる「見える化」と漢方薬の新作用」2026年9月
2026年 10月 04日「かゆみの「温故解新」~AIによる「見える化」と漢方薬の新作用
日時:2026年9月19日(土) 14:00~16:30
会場:品川区総合区民会館(きゅりあん)4F 第特別講習室 + ZOOMオンライン
参加者:22名(会場:21名、Web:1名)
講演者:内海 潤 氏 ティア・リサーチ・コンサルティン合同会社 CEO
順天堂かゆみ研究センター協力研究員
<講演要旨>
1. はじめに
本講演は、東レ・大学・行政機関で長年新薬開発と医療連携に携わってきた内海氏が、自身の経験をもとに「痒み治療薬レミッチの開発」「痒みのメカニズム」「AIによる症状の可視化」「漢方薬からの痒み治療薬の探索科学」について語ったものである。
専門的な内容を一般にも理解しやすいように、背景とストーリーを交えて、また医薬品開発の流れも紹介された。
2.講演者の経歴と視点
内海氏は、製薬企業で新薬開発に従事した後、大学の産学連携部門、PMDA薬事戦略相談室、AMED知的財産部などで勤務し、医療現場・企業・大学をつなぐ役割を担ってきた。
その経験から、医療技術の実用化には「現場のニーズ」「企業の開発力」「大学の知識」の三者連携が不可欠であると強調する。
特に、痒み治療薬レミッチ(有効成分:ナルフラフィン)の開発は、社内提案ではなく治験医師の偶然の気づきからヒントを得て始まり、開発方針が「痛みから痒みへ」変更され、20年にわたる研究開発の末に世界初のκ―作動性作用機序を持つ薬として実用化された。大学病院では「現場ニーズ」と「大学の知識」が合体し、そこに「企業の開発力」が加わることで創薬が達成されるという自経験が、講演全体の基調となっている。
3.痒みのメカニズム
講演では、痒みがどのように発生し、なぜ慢性化するのかを図解を交えて説明した。
● 皮膚のバリア機能
皮膚は外界と体内を隔てる重要なバリアであり、免疫反応が強い。
乾燥や炎症でバリアが弱まると、外部刺激が入りやすくなり痒みが発生する。
● 引っ掻くと一瞬楽になる理由
引っ掻く行為は神経に強い刺激を与え、一時的に痒み信号を上書きする。
しかし皮膚を傷つけるため、結果的にバリアがさらに弱まり、痒みが悪化する悪循環が起こる。
● 痒みの伝達
痒みは皮膚→神経→脳へと伝わる。
抗ヒスタミン薬は炎症側を抑えるが、神経側の痒みには十分効かない場合が多い。
4.レミッチ開発のストーリー
レミッチは「痒みを抑える側の信号(ダイノルフィン)」を強めるという新しい発想で開発された。
● 従来の治療の限界
痒みを引き起こす物質を抑える治療(抗ヒスタミン薬、抗アレルギー薬)は存在したが、
「痒みを抑える信号を増やす」という逆方向のアプローチは世界に例がなかった。
● 医師のヒントと開発マンの気づきから始まった研究
社内の正式プロジェクトではなく、治験医師のヒントに開発者の気づきから始まり、マウスモデルでの検証と臨床現場の観察から裏づけして、作用機序を解明し、臨床試験を重ねて実用化に至った。内海氏は「新コンセプトに関心を持った臨床医の支えがあり、幸運であった」と述懐した。
● 世界初の薬として
レミッチは、痒み治療の新しい選択肢を提供し、特に慢性腎不全や肝疾患の患者のQOL向上に大きく貢献した。痒みへのオピオイドシステムの関与は定説のひとつになった。
5.医薬品開発の流れ
医薬品開発は「基礎研究 → 非臨床試験 → 臨床試験(第1〜3相) → 承認申請・審査 → 販売 → 市販後調査」という段階で進むこと、全体で約9〜17年かかる。
6.痒みの「見える化」の試み
●パッチ式高感度生体電位計とAI解析による痒みの可視化評価システムを開発した。
痛みや痒みは特に子供や高齢者で正しい評価が難しい。これを客観的・定量的に可視化できれば、診断と治療、医薬品開発に貢献することから、最新のDX技術で「見える化」に取り組んだ。痛みで脳波が変動するとの報告があるが、定量化・可視化の技術は未確立であり、痒みについての報告は見当たらない。
●パッチ式の小型高感度センサーでマウス頭部の生体電位計測システムで痛みと痒みの生体プロファイルの可視化を検討した。解析にはAIも活用された。可視化と軽量化ができる痒み評価系を構築し、マウス頭部電位で薬物応答評価した。痒み誘発剤のクロロキンで40Hzガンマ波帯域に大きな効果量を観測し、止痒薬のナルフラフィン(レミッチ)でその効果量は減弱した。本システムでは痒みを可視化・計量化できると考えられ、40Hzガンマ波は、「痒みデジタルバイオマーカー」の候補と示された。今後、ヒトにおける検証が必要である。
7.漢方薬からの痒み治療薬を探索 日本独自に400年をかけて発達した漢方薬から「痒み治療薬」を探索
●アトピー性皮膚炎ガイドライン2024に記載の7種の漢方薬は、作用機序は明らかでなくエビデンスレベルはB(低い)とされていることから、ケラチノサイトの薬物応答トランスクリプトーム解析で7種の漢方薬の2型炎症マーカーの挙動を調べた。
●抑制的作用に注目するため、発現抑制された上位遺伝子1000種についてエンリッチメント解析を行った結果、{温清飲}と「白虎加入参湯」に2型炎症因子の抑制作用が強いことを見出した。
8.おわりに
講演は、痒み治療の歴史、AIによる新しい医療技術、漢方の科学的理解、また、見える化の観点で「医療をより良くするための実践」という一本の軸で結びつけている。
医療の進歩は気づき(発見)と地道な積み重ね(規制に則った開発)、そして多分野の協力(臨床試験のための医療機関との連携)によって生まれる。
<質疑応答>
(1)AIやロボットを活用した24時間体制の合成・評価システムといったマテリアルインフォマティクスの現実性や、製薬開発等への応用での問題点は?
⇒単一標的の創薬や新素材開発などの領域では、AIと自動化(マテリアルインフォマティクス)による短期間化・効率化は非常に現実的かつ大きな威力を発揮する。 しかし、漢方に代表されるような「複数の成分が複雑に絡み合って効くネットワークシステム」に対しては、現代のAIやロボット自動化技術をもってしても一筋縄ではいかず、現実的にはまだ大きなハードルが存在すると思う。
(2)副作用等安全性は如何か?
⇒医薬品開発の安全性確保に対しては規制の指針に沿って充分に行うことが必須。レミッチ(ナルフィン塩酸塩)は眠気を催すので飲用後、車の運転などしないように注意喚起されている。
(3)ワクチンは何故承認が早いのか?
⇒新型コロナワクチンはパンデミックに非常事態下の開発で特別である。治療薬の扱いでは無く、健常人で特異抗体の上昇で薬効ありと判定され、臨床評価も1カ月以内で済み、規制当局も迅速対応されたのが、1年以内で開発できた最大の理由である。
(4)中世はアラビアの薬が有難がられていたのに何故話題に上がらないのか?
⇒医薬品の源流は世界で生薬がベースだった。その後、科学的エビデンスをもつ西洋薬(主に単一成分)が世界の主流となり、民間薬は主流でなくなったが、欧州圏ではドイツは生薬ベースの研究(ハーブ等)は盛んである。
(5)中国と日本の漢方の違いは何なのか?
⇒中国では中医学と呼び、薬効が体系されておらず、扱う店の智慧知識に依る診断〜処方箋だった。患者別に処方(配合)を決めている。
日本は江戸時代に生薬処方が本格化し、約400年かけて人体実証(=現代の臨床試験)で効果効能例に付き、体質と病状ごとにベスト処方を体系化した。この結果、工業化(製薬業)が達成され、国の共通した処方箋として普及した。漢方という名称は、西洋薬の蘭方との対比で名付けられたもので、本来は和漢薬というべきもの。日本は西洋薬と漢方薬が保険で使える唯一の国である。
(6)莫大な開発費と結果迄の長い年月を掛け、プロジェクト成功率5%だと、N数の少ない難病の治療薬は開発有無等はどうなるか?
⇒オーファン薬市場は市場が限定的で、リスクが高い為、大手はなかなか手を出さない。大手が手を出さない分野ゆえにバイオベンチャ企業が挑む形である。開発資金には、多くは公的補助金制度サポートによりリスク軽減が図られている。
(7)私自身が大怪我をして全身と言うか、首から下が麻痺状態になった時に受けた痛感検査で、鋭利な突起物での刺激は何も感じなかったのに対し、筆による刺激はくすぐったいと言うか痒いと言うかを感じて、その後、回復した。
⇒興味深い話である。痛み(強い感覚)と痒み(弱い感覚)は伝達する神経が異なることが知られており、神経伝達の修復にそれが係わっているかもしれない。生命危機に係る痛みの伝達は太い神経が担い、危機度が低い痒みは細い神経が担うとされている。伝達物質もエンドルフィンやダイノルフィンが絡み、痛みや痒みの感覚にも異なって作用する。
(8)痒みやくすぐったいと言うことを拷問に使えないか?
⇒痛みでうずくまり、痒みはじっとしていられない、というように行動表現にも違いがあり、持続的な痒みはつらいものである。
(→受講会員の中から、くすぐりは拷問に入っているとの回答があった)。
<所感>
参加者には部門外の人が沢山いると講師に伝えた。初めの自己紹介から、医薬品開発は全く分からない人にも分かるように砕いて話して下さり、時に冗句も交えての素晴らしい講演だった。
ともかく質問が限り無しだった。
医薬品開発への質問に関して、規制の厳しさに驚き、このような条件で患者が医薬品を処方されることが理解されたと思う。
深く感謝申し上げます。
同じく医薬品開発を手掛けた報告者自身も大変うれしく感じた。
次回、漢方薬のエンリッチメント解析がもう少し進んだ段階でのお話をお聞きできることを楽しみにしています。
以上 (報告者:後藤幸子)