第260回セミナー報告「日本庭園の抽象庭園プロセス」2024年12月
2024年 12月 20日科学技術者フォーラム2024年12月度(第260回)セミナー報告
「日本庭園の抽象庭園プロセス」
日時:2024年12月7日(土) 14:00~16:45
会場:品川区立総合区民会館(きゅりあん)5F第4講習室+ZOOMオンライン
参加:33名(会場20名+Web13名)
演者:日本庭園文化研究家 中田 勝康 氏
<講演要旨>
1.本年9月に開催したSTFセミナー「【パラダイムシフト】で読み解く日本庭園~象徴庭園から抽象庭園への変遷~」の続編。古代から現代まで価値観が変動するごと、その時代を画する庭園は変化する。立体造形(龍門瀑・幾何学模様・抽象造形)、抽象庭園への変遷を中心に話された。
2.第一部:日本庭園のテーマは各時代のパラダイムにより異なってくる。
2-1. 神仙蓬莱(道教)に始まり、極楽浄土・禅宗(臨済宗)・浄土真宗・水墨画を経て、室町時代、新造形萌芽の時代になった。立石組による反自然造形の萌芽となった保国寺立石造形では、伊予や徳島の青石(板状緑泥片岩)が用いられ、普遍的な美が感じられるものになっている。 枯山水への過渡期では江馬氏庭園があり、鎌倉・室町時代に発生した初期枯山水庭園では大内氏館跡がある。水墨画の余白の概念が平庭式枯山水庭園の発生につながっている様子は、屏風絵から作庭され、再建された銀閣寺の銀沙灘・向月台に見て取れる。
2-2.安土・桃山から江戸時代初期にルネサンス様式が取り込まれた。銀閣寺参道の直線的大刈込み他、日本庭園には直線状大刈込が随所にみられる。小堀遠州は、ヨーロッパ宣教師からルネサンス・バロック様式の建築と庭園の手法を学んだが、学んだ遠近法や黄金分割の手法が、龍安寺の石庭、大徳寺庭園、後水尾天皇の仙洞御所、修学院離宮に見て取れる。桂離宮の特異な造形や至る所直線的な幾何学模様は従来の自然景色式の否定である。
2-3.浄土真宗の庭では「二河白道」「易行水道楽」があり、また大名庭園には儒教が反映されている。東京の小石川後楽園、旧芝離宮恩賜庭園、広島の縮景園等で確認できる。
2-4. 新しい価値観がもたらされると、造形はその都度変化し日本化した。日本庭園は教理をそのまま写しつつも、次第に取捨選択し、抽象化に向かった要素も否めない。
3.第二部:日本庭園の抽象化のプロセス
3-1. 護岸造形の変遷(象徴護岸からの脱皮)
土坡・栗石による単純な護岸⇒絢爛豪華な護岸⇒護岸石組みの脱皮⇒池中への石組み⇒枯山水庭園の神仙鳥護岸⇒美しい護岸石組⇒重森三玲・護岸造形の抽象化へと進んだ。
3-2. 池庭庭園では、水利が恵まれているにも拘わらず、池泉庭園の形式を保ちつつ枯山水が発生して来た。石組みの発生は人工造形の面白さの発見である。奥行きのない場所に池は作れない、代わりに白砂を海洋と見立てた。神仙蓬莱島は、護岸のない鶴亀島になり護岸石組みがなくても、島の中に仕組みがテンコ盛りされ、これを発展させたものが重森の東福寺本坊になった。
3-3. 平坦部への抽象枯山水(方丈南庭の閉ざされた聖域に抽象石組)では、旧愚渓寺庭園、竜安寺、大徳寺方丈、金地院、南禅寺方丈、圓通寺庭園、桂氏、東海庵、龍源院がある。
3-4.風光明媚な場所にありながら、反自然の人口造形で拮抗した石組構成美の庭では、旧久留島氏、旧芝離宮恩賜公園、玄宮楽々園、粉河寺、阿波国分寺がある。
3-5.重森三玲の多様性
重森三玲氏の略歴:岡山県生まれ、1975年79歳で逝去。
・造園の専門的知識を得ることなく作庭歴36年、作庭数約190庭、庭園実測数約360余庭。著述数75冊、日本庭園のほぼすべての情報を熟知、芸術的庭園を指向した。
・「芸術とは」・「抽象とは」の文献として、岡本太郎・重森三玲・千利休の「作庭論」「いけばな論」を引用し抽象庭園の造形や意味の再考が促された。
・日本庭園―抽象化の概念の説明。抽象的造形の完成度を横軸に、抽象化度を縦軸配置し、これまで説明・紹介のあった庭園:具象化庭園、象徴庭園、抽象庭園を配置したわかり易い図が示された。
・重森三玲「永遠のモダン」の源流、抽象庭園論、利休の生け花論、岡本太郎の日本庭園論(借景論)&小堀遠州の借景論の説明あり。芸術を指向した重森庭園の作品例として春日大社、東福寺、岸和田城、岡本氏庭、光明禅寺が、またグラフィックデザイナーとしての仕事の紹介もあった。
<質疑応答>
Q1. 足立美術館についてどう思うか?
A1. 米国Japanese Garden誌での評価順位では『歴代一位』ではあるが…日本庭園が歴史的に辿った「道教思想・極楽浄土・臨済宗・浄土真宗・儒教…」という背景要素の全てを取り込んだごちゃまぜであり、芸術性といった点では疑問も残る。
Q2. 江戸時代の大名庭園として完成した「回遊式庭園」という視点が欠落している。明治・大正・昭和にかけて欧化思想のために江戸文化が貶められた歴史がある。重森三玲という人物はそういう社会的風潮の影響の中で生まれ育った方ではないか?
・回遊式庭園というのは、自然景観を写し取った景色の中を歩いて貰って疲れが出たところで、もてなしをするという趣旨がある。日本の庭は、自然の中に一体化することを重視したのではないか?
・抽象化という要素は無いことはないが、そのことに一本化し過ぎていないか?
A2. ごもっともな指摘と考える。
Q3.日本人なら誰もが馴染みを覚え、その風情に共感する庭園として明治神宮がある。この庭は本田静六というヨーロッパの公園造りを学んだ園芸学者が設計・製作したもの。日本の公園に相応しい植生という視点を重視して作られた。お手本は仁徳天皇陵墓であり、この陵墓が製作後全く人手に掛かっていない自然林であることに注目した。日本の森は自然のままに放っておけば時間的変遷を経てこうなるというお手本と考え、「自然林を人為的に作る」という思想に基づく。
・庭造りには自然を生かすという思想があっても良いのではないか?
A3.自然が良いという人は、人工の庭に行かず、自然の環境に行けばよいと思う。
<所感>
自然を切り取った庭園にはそれぞれに作庭家の思い・思想があり、訪問者はそれを感じます。
小石川後楽園のような回遊式庭園の散策では季節毎の自然と一体化した楽しさを、一方、龍安寺の石庭等では、瞑想してみたい思いにもかられます。
不老不死、極楽浄土から始まるパラダイムシフトが、日本庭園の造形方法の変遷に反映され、抽象化が進んできたこと、日本庭園の抽象化のプロセスを、今回学ぶ機会が得られたこと、中田先生の重森三玲氏への篤い思いを知ることができ本当に感謝です。
日本の浮世絵が海外の芸術家に大きな影響を与えたことは有名ですが、日本の庭園造りにルネッサンスが大きな影響を及ぼしていたことは驚きでした。
このたびは大変貴重で有意義な講話をして頂きましたことに、深く感謝申し上げます。
【報告者:後藤幸子】