科学技術者フォーラムH27年9月度セミナー報告「DNAから見た日本人の起源」
2015年 10月 20日H27年9月度(第159回) セミナー報告「DNAから見た日本人の起源」
1.日時 :2015年9月19日(土) 14:00〜16:50
2.場所 :品川区立総合区民会館「きゅりあん」 5F
3.参加者:49名
4.題目 :「DNAから見た日本人の起源」
5.講演者:国立科学博物館人類研究部長
篠田 謙一 氏
<講演要旨>
さまざまなヒト集団のDNAデータが大量に調べられ、それを基にした集団の起源や拡散の研究が紹介された。
日本人の起源に関して、旧石器、縄文時代を含む各時代のDNAデータにより、従来の研究方法では知ることのできなかった日本人形成のシナリオが示された。
今回の先生の講演では、近年のDNA分析が明らかにした日本人の起源について解説し、日本列島の集団の遺伝的な変遷を、アジアにおけるヒトの移動の文脈の中で説明して頂いた。
<人類進化の道のり>
●ホモ・サピエンスは10万年より古い時代の化石はアフリカ・中東からしか出土していないことから、アフリカで進化し、全世界に広がって行ったことが示唆される。また、ミトコンドリアDNAを調べることにより、各グループ(アフリカ人、ヨーロッパ人、アジア人等)の分岐が判った。このデータも化石によるデータと矛盾は無い。
<ネアンデルタール人>
●ネアンデルタール人50万年前にアフリカでホモ・サピエンスとアフリカで分かれ、ヨーロッパを中心に広がった。4〜5万年前にアフリカよりヨーロッパ等に渡った、ホモ・サピエンスと共存、交雑し、ゲノムの2%程度が我々に伝わっている。(但し、人によって受け継いでいる部分は異なっている。)
<人類拡散>
●人類は狩猟採集による拡散→農耕に伴う拡散→大航海時代以降の拡散となり、全世界に広がっている。
<日本人の起源>
●時代により、地域により形質の違いがある。そして、日本列島集団の成立は縄文人と弥生人の二重構造になっている(二重構造説)。
●ミトコンドリアDNA系統の多様性から、日本の過去の人口変動がわかる。遺跡のデータからは日本の人口は縄文晩期に減少し、弥生時代に急激に増えたことになっているが、DNAからはこの減少した時期に逆に増えたことが示唆されている。これは現代日本人の主体をなす祖先が、この時期に中国本土で人口を増加させたためであると考えられる。
●山東・遼寧の漢民族、朝鮮半島、台湾先住民と比較し、本土日本人、琉球人はミトコンドリアDNAのM7a、N9bというハプログループを持つことが特徴。その頻度は本土日本、琉球でも地域差がある。また、琉球人は台湾先住民より、本土日本人に近い。
●琉球、アイヌは本土日本人と比べると、ミトコンドリアDNA系統は違っている。琉球へは本土日本より主として人が移動し、在来の集団と混血したと考えられ、また、アイヌは時代とともにミトコンドリアDNA系統が変化しており、北方からの人々との混血が考えられる。
●?民族という概念と、遺伝子構成は関係ない(漢民族は様々な地域により遺伝子構成は大きく違う)、?集団の遺伝子構成は様々な要因の影響を受けて時間とともに変化する、?遺伝子構成の変化は過去の歴史を知るカギとなる、以上の説明は民族を見る上で今までと違った視点を教えて頂けた。
●石垣島で出土した2万年前の人々のミトコンドリアDNA系統を調べると、
・東南アジアや中国南部の人々が持つ系統を持つ。
・検出されたB4タイプは日本人にも多いが、Rタイプはいない。
・現在の日本列島人とのつながりは不明。
・4千年前になって、現代につながるDNAが出現している。
と、説明されました。
今のところ、南方の最も古い人骨と現代の日本列島集団の関係は不明。
長い期間をかけて、大陸の色々な地域からこの列島に到達した人たちが、混じり合うことで縄文人が形成された。そして弥生時代の開始期に大陸からやって来た人たちが、縄文人と融合することで、本土の日本人集団が形成された。南北に長く、大陸の辺縁に位置する日本列島では、渡来した人びとは逃げ場がなく、列島内部での融合を選択せざるを得なかった。それが今日に続く日本人の多様性を生んだ原因だと考えられる。
Q&A
Q1:ハプログループ図で黒人以外の記載がアフリカにあるのは何故か。
A :一度アフリカを出たグループが戻って来たことが考えられる。
Q2:ネアンデルタール人が絶滅した理由は何故か。
A :明確な原因は特定できていない。ネアンデルタール人は少人数で暮らしていたようで、近親婚が続いていたことがゲノムの解析でわかっている。それも滅亡のひとつの原因かも知れない。
Q3:弥生時代に人口が急増した理由
A :弥生時代にそれまでのDNA系統が変化している。弥生時代の人骨のDNA分析から、縄文人とは異なる渡来系弥生人の到来が予想される。農耕を主体とした彼らの人口増加率は狩猟採集民である縄文系の人々よりも高く、それが原因で人口が増加したと考えられる。
以上
(記録者:碇)